2006年04月25日 02:14
古い雑誌が色々と。

アクアライフ1979年12月号
創刊してから5号目だ。
当時は海水魚のことはよく分かってなく、シテンヤッコがホラカントゥスにされていたりした。サンゴの飼育などはホームアクアリウムでは不可能に近いとされ、天然海水と直射日光が必要だとされていた時代だった。

フィッシュマガジン1981年9月号
この号は紅海の魚特集。ようやく日本に紅海の魚たちが輸入されてきた頃。当時は、ゴールデンバタフライという呼称すら無かった。新着魚では、バンクバタフライが初入荷として掲載されている。

TMA1983年創刊2号
いまはなきTMAだが、当時は画期的な海水魚専門誌だった。
値段は1,900円と、当時の本としてはかなりの高額。当然、小学生だった私がこずかいで買えるシロモノではなく、親に買ってもらったもの。
内容は魚の飼育がほとんどで、無脊椎はケヤリかイソギンチャクがせいぜいといったところ。サンゴが長期飼育できるなどということは、ほとんど夢物語に近かった。人工海水もよくなかったし。

テトラ・アクアリウムダイジェスト
ドイツの用品メーカーである、テトラが発行していた観賞魚専門誌(季刊)。これは1980年の日本語版第2号。レベルの高い内容で、非常に参考になったものである。

なにしろ、日本では飼育難易度最高ランクとされていた、サンゴの飼育記事が載っている。ソフトコーラルがメインだが、それでも驚異的であった。この当時、長期飼育はもちろん、増殖までさせていたのだから、大したものだ。さすがは、ベルリンシステムを考案しただけのことはあるドイツだ。凄いぞ。この本から学んだ知識は、今でも自分の飼育の基本になっている。

アクアライフ1979年12月号
創刊してから5号目だ。
当時は海水魚のことはよく分かってなく、シテンヤッコがホラカントゥスにされていたりした。サンゴの飼育などはホームアクアリウムでは不可能に近いとされ、天然海水と直射日光が必要だとされていた時代だった。

フィッシュマガジン1981年9月号
この号は紅海の魚特集。ようやく日本に紅海の魚たちが輸入されてきた頃。当時は、ゴールデンバタフライという呼称すら無かった。新着魚では、バンクバタフライが初入荷として掲載されている。

TMA1983年創刊2号
いまはなきTMAだが、当時は画期的な海水魚専門誌だった。
値段は1,900円と、当時の本としてはかなりの高額。当然、小学生だった私がこずかいで買えるシロモノではなく、親に買ってもらったもの。
内容は魚の飼育がほとんどで、無脊椎はケヤリかイソギンチャクがせいぜいといったところ。サンゴが長期飼育できるなどということは、ほとんど夢物語に近かった。人工海水もよくなかったし。

テトラ・アクアリウムダイジェスト
ドイツの用品メーカーである、テトラが発行していた観賞魚専門誌(季刊)。これは1980年の日本語版第2号。レベルの高い内容で、非常に参考になったものである。

なにしろ、日本では飼育難易度最高ランクとされていた、サンゴの飼育記事が載っている。ソフトコーラルがメインだが、それでも驚異的であった。この当時、長期飼育はもちろん、増殖までさせていたのだから、大したものだ。さすがは、ベルリンシステムを考案しただけのことはあるドイツだ。凄いぞ。この本から学んだ知識は、今でも自分の飼育の基本になっている。
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